私は2度、「がん」という病気で闘病しています。
一度目は35歳の時です。
病名は甲状腺がんでした。
12月に友達に「ねぇ首片方腫れてない?」と言われたのがきっかけでした。
 
まぁその時は全く気にしなかったのですがフッと鏡をみると確かに首が腫れてました。
 するとさすがに気になっていたのですが、仕事が忙しくてなかなか病院に行けませんでした。というより仕事が忙しいことを理由に病院に行きたくありませんでした。
 
そんな時、彼にふと気になったので「なんか私首腫れてるっぽいんだけど見てくれる?」といって触ってもらいったら「おい。。これ首が腫れてるんじゃなくて甲状腺が腫れてるぞ!!なんで早く言わないんだよ。
早く言ってくれれば病院に連れて行ったのに。明日病院に行け」と言われ、仕方がなく翌日病院に行きました。
そして、行った病院では「ごめん。うちの病院では甲状腺を詳しく検査できる機械ないのでJ病院に行ってくれないかな。まぁ見る限りでは甲状腺機能低下症だと思うんだけど腫れが大きいから精密検査したほうがいいかもね」って言われJ病院に行くことに。
ほぼ年末だったため仕事も急遽休みもらって病院に行きました。そのでも先生に
「うーん。おそらく僕も甲状腺機能低下症だと思うけど中には‘がん’が隠れてる場合があるから年のために検査しておきましょう。ちょっと辛いけど頑張ってね。」
といわれ耐えました。かなりつらかったです。
結果は正月明けに出るということで正月明けに行きました。
そしたらなんと「驚かないで聞いてね。癌が見つかったから手術して全摘しないといけないから」「えっ??がんですか?って私死ぬのでしょうか?」
「このがんで死ぬ人はいないから安心して。全摘すれば問題ない。ただし一生ホルモン剤を飲むことにはなるけどね。正式な病名は甲状腺乳頭がんです。日本人90%がかかるがんだから手術すれば大丈夫だよ。入院も一週間だから」と簡単に言われました。
 
しかし、その時私にはすぐに手術できる状況にありませんでした。
自分の父親もがんで手術が控えてました。
 
私の場合は結局診断を受けてから2か月後に手術受けることになりました。
 
2日に入院して㋂3日手術しました。
その時は初めての全身麻酔が初めてなのですごく緊張して泣いてしまいました。
 
手術時間は約2時間と言われましたが3時間かかってしまったのです。
理由は後でわかったことですが、私の副甲状腺が異所性副甲状腺だったのです。
それが幸いして副甲状腺が残せました。
 
それから、2年後にまた同じ病院で手術を受けるとになるとは思いませんでした。2年後は子宮内膜症およびチョコレート嚢腫で同じ病院の婦人科で手術受けるとに
なるとは。。。

To be continued…