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 自分の勤めている病院で婦人科の診察を受けることは抵抗があり、これまで避けていたというのもあります。なるべく顔見知りではない医師を指名し若い女医の診察を受けたのですが、若い女医の言動から直ぐに正常な状態ではないことがわかりました。診察の時は不正出血が出現していたので、その状態での内診、経膣エコー、細胞診・組織検査でした。その間、若い女医だけの判断では不安があったのか、上司である顔なじみの医師が呼ばれて入ってきました。検査の刺激で出血が止まらなかったので、ヨードホルムガーゼを膣内に充填し圧迫止血処置していただきました(膣強圧タンポン法)。処置後、診察室へ移動し女医から「尖圭コンジローマ(良性型のヒトパピローマウイルスが原因のイボ状態)かもしれませんが、とにかく手術室が混んでいるので10月なら手術枠が確保できますから予約を入れておきます。」と説明があり、細胞診・組織検査が出る頃の1週間後に次の外来予約をしました。
私の中では、この時点で「がんかもしれない」と思い始めていて、受診後上司へ診察結果と自分自身はがんだと思っていること、治療を受けるなら自分の病院ではなくがん専門病院で受けたいという意思を伝え、そこで上司たちを巻き込んでの対策会議が始まりました。入院時期はそれ程遠くないような気がしたので、自分がリーダーシップをとって関わっている幾つかの企画を誰に委譲するか、自分の滞っていたデスク周りの書類整理等、急に忙しくなってきました。
2日後の勤務時間中に細胞診・組織検査結果が出たと婦人科の顔なじみの医師から直接電話連絡が入り、上司の付き添いで説明を受けました。「子宮頸がんⅢbかⅣb期、Ⅲ期を過ぎているので手術適応ではないが幸いにも扁平上皮がんである、放射線が効きやすいがんである。10㎝大の子宮筋腫(粘膜下筋腫)もあるので、出血が多いのはがんと筋腫が両方影響しています。」という説明を受け、急遽翌週の8月中旬にがん専門病院を受診できるよう紹介状を準備してくださり受診の予約手続きをしていただきました。同じ時期に受けたCT結果と膀胱鏡検査(急遽婦人科からの依頼で検査を実施)については、泌尿器科医師(実はこの医師も顔なじみ)から「左尿管の先端が子宮周辺の腫瘍らしきもので圧迫されているために、尿が流れにくくなっている。腹部リンパ節周辺の腫れもある。」と説明がありました。この時点の採血データは、ヘモグロビン(貧血データ)10.0g/dl(正常11.5~14.0位)、SCC(扁平上皮癌の腫瘍マーカー)23.0ng/ml(正常1.5以下)でした。他の腫瘍マーカーCEA、CA125、CA19-9、CA15-3も数値が高値でした。
翌週の火曜日(8月中旬)にがん専門病院の婦人科を受診し、現在の主治医と出会いました。受診は上司が車で送迎し付き添ってくれ、内診、細胞診・組織検査の後、数日前に勤務先の病院で受けた説明と同様の説明を受けました。患部のがんによる損傷がひどかったようで、内診時から痛みが強く、そのことも重なったのか主治医から入院の説明を受けているうちに自然と涙が流れてきました。治療の選択肢は放射線と抗がん剤の併用しかない、ただ海外では子宮頸がん(扁平上皮癌)に対しては手術ではなくⅠ期から放射線治療を実施しており、手術と治療成績に違いがないという説明もありました。これまで経血量の多さと不正出血、側腹部痛、上腹部痛、原因がわからないまま、もしひどい病気だったらどうしようと不安の毎日でしたが、苦しんでいた症状の原因がわかったことで腹をくくって治療を受ける覚悟ができました。
入院が決定したことで、仕事の引き継ぎもそうですが、誰にどの程度までこの現状を伝えるべきか考えました。当面の私の目標は、社会復帰でした。仕事で付き合う人とは対等に接したいというのが私の信条ですので、直属の上司2名、病院長、職員課の一部の担当者、同じ管理者仲間2名にはすべてを伝え、仕事を委譲する可能性のある5名の管理者仲間には、緊急に治療が必要で入院することだけに情報をとどめ病名は出しませんでした。その他、他の管理者をはじめとする500名あまりの看護職員と他の職種へは知られないようにし、がん専門病院を初回受診した3日目に入院し姿を消しました(入院した病院名についても、シークレットにしていただきました)。
これと同じ時期に、私の周りでは、4名からなる私のサポートチーム(直属の上司2名、同じ管理者仲間2名)が結成されました。チーム名は “チーム○(勤務先の通称名)”です。その中で役割分担も事前となされていたようです。主に洗濯と食糧調達など身の回りの世話をしてくれる2名の担当者(直属の上司2名・緊急時連絡受付兼任)、大切な愛猫を預かってくれる担当者(管理者仲間①)、そして何でも我が儘を叶えてくれるパシリ役(管理者仲間②)、家族以外でこんなに私の為に尽力してくれるのは本当にありがたいことです。
病状を伝えるにあたり、次に難問となったのは家族と親しい友人(悪友?)のことです。がん治療は並大抵のものではありません。楽なことは決してありません。途中で心が折れてしまう可能性もありますが、折れてしまい弱音を吐いてしまっては、次に頑張れない~と思いました。目標が社会復帰、そのためには、今投げ出すわけにはいきません。強い気持ちを持って治療へ臨むには、自分のことだけしか考えられませんでした。看護師という職業柄、常に相手に配慮して関わる癖が身についています。厳しい治療が待っている自分には、相手の事まで考える余裕がありません。私の病状を伝えることで少なからずショックを受ける人達がいます。体調を崩してしまうかもしれません。しかし、それをフォローする自信がありませんでした。そこで私は、同じ職場の信頼なるチーム○に全面的サポートをお願いしました。(看護のプロですし、気持ちを察して対応して貰えるという安心感もありました。)遠方に住んでいる家族へは電話で伝えましたが、悪友とはちょうどその時期お互いに忙しく連絡を取り合っていなかったのを幸いに連絡せずに入院しました。

<初回入院>
◎入院初日
入院日はチーム○の一人がご主人と車で送ってくれました。そして、入院病棟には家族が集まっていました。主治医の病状説明を受けました。「子宮頸がんⅢbかⅣb期(後にⅣbと診断)の進行がん、10㎝大の子宮筋腫があります。子宮の大きさは、グレープフルーツ大まで大きくなっています(通常は鶏卵大)。子宮の靭帯を介して鼠径リンパ節、傍腹部大動脈リンパ節(上腹部)、腸リンパ節(下腹部)まで転移しており、むしろ右側の方が水腎症になりかけています。放射線外部照射と腔内照射(ラルス)、同時期に化学療法を併用しますが、大きな子宮筋腫があるため放射線が届かない部分も出てくるかもしれません。化学療法で使用する抗がん剤の白金(プラチナ)製剤のシスプラチン(商品名:ランダ注)の副作用については、嘔気と腎機能障害などがあります。水腎症があるので腎機能データに留意しながら実施します。貧血があると放射線の効きが悪くなるので輸血をします。腔内照射では子宮筋腫が邪魔して十分に治療が行き届かないかもしれませんし、進行がんなので再発する可能性も高い、その場合今後どうするか(治療を受けるかあきらめるか)は貴方次第です。」という厳しい説明だったが、説明がわかりやすく素直に受け入れられた。入院時に実施した血液検査結果は、ヘモグロビンが6.7 g/dl、SCCが30.4ng/mlというとんでもない数値でした。私は説明を一度聞いているので記録はとりませんでしたが、チーム○の仲間が詳細に記録してくれて、後にその記録が役立ちました。病状説明を受ける際に記録を取っておくことは、後日振り返り確認することが出来ますので、患者の皆さんへお勧めしたいと思います。可能であれば、説明を聞いている本人ではなく、第3者的な立場の方、若しくは精神的にも落ち着いた方が客観性を持って記録に残すのが望ましいと思います。
私には4人姉妹(私は上から二番目)、そして母がいます。病状説明には姉妹達が同席し、輸血については自分たちも同じ血液型なので使えないかなど、素人なりの心遣いもあり、それに対して主治医が丁寧に説明をしてくださいました。(一般的に、輸血用血液は、日本赤十字社できちんと安全性を確認したものを使用することになっています。)そして、姉妹達からは、心配のあまりから出た言動だと思いますが、「何故こうなるまで放置していたの?」「先生(主治医)のいうことをおとなしく聞いていなさい!」と次々に言葉を浴びせられます。しかしながら、このような言葉は私のこれからの治療に良いことは何一つありません。何故放置していたのかといわれても、がんになってしまったことは事実ですし、今更過去を振り返っても治療を受けることに変わりはありません。主治医の言うことを聞いていないわけではありませんが、治療については私の意思もありますし、何より患者と医療者はベストパートナー、対等でなければよい医療が提供できないし受けられないと職業柄思っています。ですから、私は主治医へ疑問があれば聞きますし、治療の意思決定権は患者にあるので、私が納得していないと治療は受けられません。その点、医療者はそのような余計なことは言わず、先のことを見越して対応してくれます。そのように色々と察して対応して貰うことがとても楽でした。様々なオリエンテーション受けて、長い入院生活が始まりました。
配慮してくださったのか、同室者は同じ年代で一人30代のⅠb期を除いて、ほかの二人はⅢb期で私と同じ放射線と化学療法の併用でした。
 余談ですが、入院して間もなくロングヘアだった毛髪を、馴染みの美容師に病棟まで来てもらい、ショートにカットしました。

To be continued…