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脱毛、体にキズがつく、胸がなくなる・・・がんよりも、女性でなくなる事の方があの時の私には耐えられない事でした。
必死になって実行した食事療法、サプリメントでしたが、がんは小さくなっていませんでした。
もしかしたら何年も続けて、強い意志を持って実行していたら消えたかもしれませんが、 2カ月が限界でした。
そして、恐怖が襲ってきました。本当に後悔しない?今なら、治療すれば助かる?
「死にたくない」
ネットを検索しては、気づくと夜が明けている。恐怖で眠れない毎日でした。
食事、サプリメント以外にも自分にとって良いと思う事をすべてしました。
占い、気功、統合医療(話しのみ)、彼がドイツ人で彼のお母さんが偶然にも婦人科の先生でしたので、もしかしたら日本にはない最新の治療がないか聞きましたが、日本と同じ治療でした。
最後には自分の葬儀の準備をと、サイト検索していました。(暗くてすみません)
私の父は私が2歳の時(34歳の若さで)直腸がんで亡くなっていました。
幼少の頃、父の記憶がなく寂しかった私は「なんでお父さんこんなに早く死んじゃったの?」と責めていました。
でも今、自分が感じている恐怖を父も感じていたのかと思うと
「お父さんごめんね」と申し訳ない気持ちでした。絶対に生きたかったに決まっている。
父のがんは、見つかった時には治療ができない状態だったようです。
今の私は、まだ治療ができる。少しずつ自分の気持ちが標準治療へと傾いていました。
毎日毎日、友人、継父、母、兄、親戚から電話で励まされたり説得されたり、 不謹慎ですが、私は幸せだなと思いました。
そして先生に治療をするかしないか最後の返事をする前日、悩んでいた私に何も知らない友人から「元気~?久しぶりに会いたいね」とメールがあり、すぐに電話をして事情を話しました。職場の元同期で、いつも悩みがあると相談していて的確な意見を言ってくれる友人でしたが、彼女が結婚し子供ができてからはなかなか会えなくなっていました。
救いの偶然でした。
「抗がん剤やります!って、今から私が病院に言いに行くから!」と友人は言いました。
電話で話しながら涙が溢れてきました。
「抗がん剤やったら絶対治る!」病院の先生は絶対言わない言葉で断言され、 
私は、友人の言葉で恐怖がなくなっていました。ウソでもいいからその言葉が聞きたかったのかもしれません。
「私、抗がん剤やる。明日、ちゃんと自分で言うから」
電話を切り、その日の私は安心感で久しぶりに眠ることができました。

少しでもキズを小さくするために、術前抗がん剤を始める決心がついた日でした。

To be continued…