46歳 子宮体ガン
自営

病気というのは突然やってくるのだ。
私はある日突然「ほぼ子宮ガンに間違いないでしょう」という状況に置かれた。
それは2010年の暮れ、今日で今年の診察は終わりという日に私はN病院の婦人科を訪れた。数日前からの不正出血が気になっていたからで、それは更年期のせいですよ、と言ってもらいたくて。というのもあった。
45歳の私にとってぼちぼち更年期が始まってもおかしくない年齢だったし、いつかは来るものと思っていたので、それに対するネガティブな印象も特になかった。
また、前回の子宮がん検診から2年が経過していたので、そろそろやっておくか、という気持ちで急に思い立って診察を受けたのだ。

そしてN病院。この病院では過去3回検査を受けている。1回目は市民検診の時だった。その時の担当医はとてもいい先生で、日頃不安に思ってることなどを親身になって聞いてくれた。その先生に診てもらいたくてその後も何かあるとN病院の婦人科に行くのだけれど、いつも違う先生にあたってしまう。その先生のいる日を狙って行くのにいないのだ。そして代わりに診てくれる先生はいつも淡々と失礼な事を言う人だった。でもそれにも慣れてきてしまっていた。ま、いっか。ちょっと診てもらうだけだしな、という気持ちでその日もN病院に行ったのだった。今更別の病院探すのも面倒だし。
診察は卵巣のエコーと「何でもないと思うけどねぇ」といいながらの子宮体がん、頸ガン両方の組織検査をした。
そのとき医師の言葉。「気にし過ぎるから不正出血も起こる。」「あなたの戸籍上の年齢からすれば更年期だっていうなら更年期ですよ。」「人によっては更年期って言葉も嫌がるからね。」「基礎体温の温度が上がらない?じゃ、測るのやめれば?」などなど。信じられない暴言の数々・・・。
そう言えば前回生理がいつまでも終らなくて受診した時に「生理が終らなくて困る事ある?」って言われたんだった。今思えばこれははっきりと子宮体ガンの症状だ。あの時もとっても嫌な思いをしたのに、なぜ私はまたこの病院に来ちゃったんだろう。私は何とも悔しい思いと後悔で家に帰った。

そんな事もあり、もうあの医師の顔は見たくなかったので、検査の結果を聞きに行きそびれていた。いつかは行こうと思っていたのだが、どうせ「何でもないだろうから」。
ところが、1月13日。例の医師から携帯に電話が入る。検査の結果が出ているので来てください。すぐに治療が必要ですと。
こんな電話がくれば誰だってただ事ではない事くらいわかる。私は予定していた仕事の打ち合わせを早めに済ませてN病院へ向かった。その間色々考えたが、どう考えたって「ガン」だろう。子宮の病気で急を要するなんて私の少ない知識の中ではそれ以外に考えられなかった。
そこから私の思考がフル回転し始める。いろんな場面を想定し、考えを巡らせながら病院へ到着した。
待っていた医師は「脅かしちゃったね」と一言。このとき私は一瞬、脅かしちゃったけど子宮筋腫でね、みたいな言葉を期待してしまった。でもそんな訳はなく、極めて悪い検査結果を聞かされたのだ。
子宮がんの検査結果の表し方は、クラス1〜5になっていてクラス1と2は異常なし。4とか5はほぼガンに間違いないでしょう。みたいな感じらしいのだが、何と私は「5」。その時は5の持つ意味をそんなには理解していなかったのだが、医師は「いや、びっくりな結果で…」と言ったきりだった。
今思うと、この時いやみの一つでも言ってやるべきだった!あんたの言う通り気にし過ぎって思ってあのとき検査を受けていなかったら、ひょっとしてまだ発見していなかったかもしれないのだ。
私は冷静に聞いたつもりでも、動揺していたのかもしれない。この医師に何も言ってこれなかったのだから。

 N病院ではその場でS病院へ紹介状をもらい、検査予約をしてもらった。検査は一週間後の19日。組織検査の結果のコピーをもらってその日は帰ってきた。そしてそれからというもの、このコピーに記されている事項について色々調べたのだが、そこで絶望的な気分になる。
実際N病院から帰ってきた段階では、ショックはあるものの子宮がんは割とよく聞くし、克服した人も大勢いる。と楽観的でもあった。しかし検査結果に記されていたのは「小細胞がん」「極めて異形」という文字。これを調べて行くとかなり深刻な気持ちに。もちろん克服して頑張っている人もいるのだが、それにしても予後が悪い。
そこからまた私の思考がフル回転する。
「もし死んじゃったら」はたして何か困る事ってあるだろうか。私は子供もいないし、仕事だって替わりはいくらでもいるだろう。もちろん悲しんでくれる人はいるだろうけど、困る人はいない。であるならば私の人生はちょっと短かったけど人間は死亡率100%なんだし、先に行ってるよ、位の感覚になれなくもないな、と最悪の事を想定して自分の気持ちをそこまで無理矢理持っていった。
思えばここまでの私は本当に幸せに生きてきたのだ。仕事も結婚も自分としては順調だったし親も元気。もしここで人生が終ってしまったらそれはそれで幸せなのではないかと。この先生きていれば、親の介護だってあるだろう。夫の介護だって。自分自身の老後だってどうなるかわからない。それを全部ここでおしまいにしてしまう。
いや、でもそれはあまりにもイイトコ取り過ぎるだろう。

私は病気を知っても取り乱したり、泣いたりはしなかった。でもあるとき突然一人で号泣した。号泣しながら何で泣けるんだろうと思った。今死んでもそれはそれかも、って思っていたのにいったい何が私を号泣させているんだろう。泣いている自分を冷静に見て疑問を投げかけている自分…。

そんなことまで考えておきながらこの病気になってしまった事で一番思ったのは夫に申し訳ないということだった。これからもっと一緒に楽しむ予定だったのに。私を嫁にしたばっかりに彼に背負わなくていいものを背負わしてしまったという思い。ごめんね。これしか言葉が見つからない。
もしもこれが逆の立場だったら全く迷惑だなんて思いもしないのだが、自分のこととなると弱気になってしまう。夫は本当はしまったなぁ〜なんて思ってないだろうか。
とはいえ、夫がいてくれてどれだけ心の支えになっているか計りしれない。夫の必要以上に深刻にならない性格にも救われた。正式な結果がでるまでの間、彼と日常を過ごしていると病気の事を忘れることができたし。

それでも朝起きると毎朝、夢ならいいのに…と思っていた。

そして19日。S病院へ検査に行く日がやってきた。

To be continued…