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 ここからは、手術の時の話をしたいと思います。手術の前日、麻酔科の先生との麻酔についてのお話がありました。私は前回お話したように、熊本での細胞診の時気分が悪くて、家でもどしてしまうほど麻酔には辛い思いをしたので、その事がとても心配で、麻酔科の先生にも相談しました。やはりそういったことが前にあるのであれば、細胞診の時よりももっと強い全身麻酔なので、気分が悪くなることがあるかもしれませんが、何とか手術を乗り越えて、頑張りましょう!!と、励まされました。
 そして担当医の先生とも主人を交えて、手術が具体的にどの様に行われるか説明を受けました。やはりリンパに飛んでいるか気になる様で先生は、できれば腿から下のリンパを全て取り、検査にまわしてみて調べたいとのことでした。けれど、手術する前からずっと言われていたんですが、うつ病の精神安定剤の薬に含まれる作用により太りやすく、私は高校の時とくらべると、17年の間に倍ぐらい体重が増えています。先生に、手術をするにあたり1キロでも2キロでも減らせば全然違ってくるからと言われ何とか、数キロは落としました。
 そして先生の方から、太っているためリンパがすべて取りきれない可能性もある。その時は予定時間よりも早く終わりますが、リンパに飛んでいるかも…、そしてそれを全部取りきれないかもと聞いて、私はどうなっちゃうんだろう…と、また不安になりました。
 前日夜は、何か病室が快適でテレビをみたり好きなように過ごして「ここ天国じゃん♪」なんてすごく安易な気持ちでした。
 愛知県からも、最初は行けないけど頑張れと励ましてくれてた父が、やはり心配だったみたいで前日から来てくれました。どんなに、心強かったかわかりません。 そして手術室に運ばれて行くとき、主人がずっと手を握っていてくれました。麻酔は最初背中にうちました。そして、口に…麻酔。息をすると私はす〜っと、深い眠りに入りました。そして気付いたら外に運び出されて、うつらうつらの中みんなが、お疲れ様と迎えてくれました。
 そして「ナースステーションから一番近い個室」に入りました。手術は、5時間半かかりました。当初、担当医の先生には、リンパが取りきれなかったら2時間半くらいで終わると聞かされていた親族は、6時間近くもすぎて、あまりにも時間がかかりすぎて、かなり心配したみたいです。結果は、リンパもすべてとり、子宮卵巣、さらには、子宮筋腫も取って頂きました。後日リンパを調べた結果、リンパには一切転移していなくて放射線治療とか、そういう治療は、全く必要がありませんとのことでした。のちのち、同じように手術をされた方で、リンパに転移していて、色んな辛い治療を余儀なくされている方がいらっしゃることを知り、私は辛い思いをしたけど、それ以上にもっと苦しんでる方がたくさんいらっしゃるんだと知り、私は恵まれていたんだなと思いました。
 本当に手術が終わってから、1日1日頑張ってお湯みたいなお粥を毎日食べて、ごはんを残さずたべました。
 ひたすら、少しでも早く回復したいと、そればかりでした。父が、食べるのを手伝ってくれたり、今まで仕事一筋で、亭主関白なタイプの父が、こんなことをしてくれるなんて初めてのことでした。お父さんが帰る前にひとことお礼を言いたくて、「お父さんがいたから、本当に助かったよ」と言うと父が「そう言ってくれると嬉しいな」といいました。私は、そんな素直な父を初めてみたのでなんだかとっても照れ臭かったけどよかったなと思いました。
 手術が終わり病室に帰り、夕方からみんな帰ってしまったので1人、やはり、麻酔のせいなのか吐き気が朝まで続きました。前日何も食べてないので吐くものがない、それが余計に辛かったです。最終的に喉が、繰り返す吐き気で傷つきちょっとだけど血も出ました。お腹にどうしても力が入るので、開いたお腹も痛み、痛み止めを何度も点滴から入れました。
 私個人のささいな辛い体験はそのなかでも、誰にも言わないけど、吐き気とお腹の痛みで苦しんでる時静まりかえった廊下にひときわ響きわたる、妊婦さんの出産している時の声、とても複雑でした。妊婦さんは、赤ちゃんが産まれたら明るい未来がある、けどもうそんな幸せも、一生私は経験できないんだ、それほど大きなものを失ったんだと、思うと余計に吐き気がひどくなりました。
 私が最初の方に、死ぬほどつらい手術と言うのは、そういう意味でのことでした。ちなみに手術は、去年の3月10日、麻酔が覚めて死ぬほどつらい吐き気がやっとおさまった次の日の朝、父とテレビを見ていると大震災で東北が、大変な事になっていました。私がみたのは津波で、どんどん流されていく民家、泣き叫ぶ人たち、それからずっと、テレビは、震災のことでした。
 私の主人の誕生日3月11日、忘れられません。本当に辛かった去年のこと、3月は毎年きます。そのたびに思い出します。ガンのこと。震災のこと、つらいのは、決して自分だけじゃない!!と。
 今でも定期検診はあるし、浮腫も心配だけど「生きてさえいれば、なんとかなるよ!!」と思います。この私の経験したことが、誰かのためになったらな…と思います。主人の母とは、根本的に反りがあわず、今年4月からアパートで、主人とふたり、幸せです。辛いと思うことも、色んな意味で日々たくさんあるけれど、それも、生きていればこそだと思います。ちなみに私と主人には、夢があります。ちいさくていいから、ログハウスを建てて主人、私、ワンちゃんを迎え家族を増やして、暮らすことが今の二人の夢です。ちなみに主人は、ログハウス大工をしたこともあるから、そう遠くない夢かも!!です。(あとは、金銭的な問題だけなんですが…)なんにせよ、いまを一生懸命生きる、そうすれば、どんなにつらいことがあっても、その先には、きっと、素敵な毎日が待ってます。私が今言えることは、病気はとにかく、早期発見です。怖がらず、何かおかしいなと思ったらとにかく病院にいってください。過信していると、代償は、大きいです。わたしの、闘病体験記は、以上です。すこしでも、皆さんのお役にたてますように…。