2011年1月に乳がん発覚。3月に右乳房の全摘手術を受けました。
私の体験談を読んで、乳がん検診を受けようと思う人が一人でも増えればと願っています。

現在44歳ですが、20代の頃から左右の胸の違いを感じていました。
右の胸の外側全体が何となく硬い。それをしこりと言うのかもよくわからない。
なので29歳から36歳まではほぼ毎年人間ドックで胸の超音波検査、胸の硬さが気になったときにはマンモグラフィーも併せて受けていました。いずれも結果は乳腺症、乳腺のう胞。
毎回そう言われ続けているうちに、もう検査の必要はないのだと勝手に決めつけ、検査を受けなくなってしまったばかりか、セルフチェックも怠ってしまったのです。

手術前に診察をしてもらった医師によると、この時点で既に私のがんは発生していたようです。
当時授乳中で乳管が詰まっており、画像による判断が難しいということも重なり発見されにくかったのではないか、とのことでした。
30代後半~こそが乳がんの好発年齢なのに、
「私は乳腺外科で見てもらったから大丈夫。一度も検査を受けたことのない人もいるくらいなのだから。」と今から思えば考えられないような勘違いをしていました。
しかし本当は、「受けたことがある」なんかでは全くだめで、「受け続けないといけない!」
このことに全く気づいていませんでした。
今でも10月になるとピンクリボン月間で「検診を受けましょう」というスローガンが声高に叫ばれます。でも、「検診を受けましょう」ではなく「毎年切れ目なく受け続けましょう」と言わないと意味がない。痛切に感じます。

2010年の秋、
ついに右乳房と右脇に時折強い痛みが出るようになりました。
最後に超音波検査を受けてから実に7年が経過していました。
体が必死にSOSを出していたのに、そこでまた半端な知識と思い込みが正しい判断を邪魔します。「これは乳腺症の痛みだ」と。
そして相変わらず仕事で週に何日も徹夜をするような毎日を送っていました。
そんなある日、ふとした瞬間、本当に虫の知らせを感じたかのように、「ひょっとして、乳腺症ではないということもありうる?」との考えが突然頭をよぎりました。
何故急にそう思ったのかは今でもわかりません。数日前の、はなまるマーケットでの千晶さんのメッセージが私の脳の無意識領域にとどまっていて、「検査に行って」と訴えてくれたのかもしれません。

婦人科クリニックの予約が取れたのはは年明け17日。その日が来るのがとても長く感じ、気持ちの落ち着かない年末を過ごしました。
そして検査の日。
判定はカテゴリーV(=悪性を強く疑う)!
その日はマンモグラフィーだけの予約でしたが、撮影後、急遽医師に「しっかり見たいので超音波もやらせてください」と言われ、その瞬間すべてを悟りました。
マンモグラフィーの画像の説明を受ける時、気づくとスタッフ全員が神妙な面持ちで私の横に一列に並んでいます。撮影をした若い女性の技師はうつむいて私の目を見ません。話を聞く前に、これらがすべてを物語っていると思いました。
「乳腺症ならばしこりの輪郭は丸いが、ぎざぎざに写っている。良性でない可能性が極めて高いです。本来マンモグラフィーでの判定は2人の医師によりなされるのですが、これはもう1人の判断を仰ぐ必要はない状態です。私の所属している大学病院に紹介状を書けば今後のことがスムーズにいきますが、どうしますか?」
医師の言葉は耳に入って来ても頭が全く働かない。涙も出てこない。ただただ動揺しているのを悟られないようにするのが精一杯。やっとのことで「今この場でどこの病院にかかるかなんて決められません‥。」と伝えると、「では宛名を書かない紹介状を書いておくので、すぐに大きい病院に行ってください。しこりの大きさから考えて、決して先延ばしにしないでください。」とのこと。
突然目の前に砂時計が置かれたような気がしました。
「何で私が?」「嘘でしょ?」告知を受けたとき誰もがこう思うと思います。
私は「何で?」とは思わなかった。検査を先延ばしにしていた自分の甘さ、馬鹿さ加減にただただ打ちのめされました。
そして次の瞬間私を襲ったのが、「私にはどのくらい時間が残されているのか?何をすればいいのか。わからない!!」との思い。
一抹の不安はあったものの、軽い気持ちで、安心するために検査受けに行くんだ程度にしか考えていなかった私。自分はがんだというまさかの事態を受け入れられず、ましてや冷静に病期の見込みを聞くなんてことはことは怖くて出来るはずもなく、逃げるようにして病院を後にしました。
私の父は、胃がんが見つかったときには既に手術の出来ない状態で、告知から10ヵ月後に他界しました。当時の私の中でのがんとはそういう認識でした。
「告知された時、人は何をするんだろう?何をすればいいの?もし時間が残り少ないのだとしたら‥わからない!」頭がクラクラしながら何とか家に帰り、布団に倒れ込んで最初にしたこと‥それは録画してまだ見ていなかった「余命1ヶ月の花嫁」を見ることでした。
(先日よつ葉の会メンバーの一人にこの話をしたら、「そのシチュエーションで見るなんて信じられない~」と驚かれてしまいました)
残念ながら映画には告知のシーンはありませんでした。
そうこうしているうちに子供たちが学校から帰宅。今は気取られるわけにはいかない。
そして夫にも‥。
がんという病気は患者本人だけでなく、家族にとっても精神的苦痛が非常に大きいものだということは、父の看病でよくわかっています。家族が苦痛を感じる日は一日でも短いほうがいい。とりあえず今は何も知らず心穏やかにすごしてほしい。そう思って何事もなかったかのごとく昨日までと同じ夜を家族で過ごしました。布団に入って、何も知らずに眠っている家族を見て、これからどうなってしまうんだろうと思うとほとんど一睡も出来ませんでした。

To be continued・・・