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その日に検査結果が出るとは思っていなかったが、何かは分かるはずだし、これがこの先の第一歩であることは間違いない。待つのを覚悟して出掛けた。
1時間弱で名前を呼ばれる。とりあえずは診ましょうかということで、内診台へ。痛いのは覚悟していた。先生の「組織取りますね、これやらないと先へ進めないからね。頑張って」と言う言葉でハイというしかない私。ひたすら我慢で終るのを待った。
内診が終わって先生は「確かに何かありますね」と一言。たぶん先生はガンだと診てすぐにわかっただろうけど、この段階ではハッキリ言わない。ただとにかく早く精密検査を受けましょうと言ってその場でMRIとCTの予約を取ってくれた。MRI 24日、CT 25日。
出来るだけ早く手術した方がいいかもしれませんね…と先生。
今日取った細胞の検査、MRI、CT全ての検査結果が出るのが26日。

辛いことといったらもう一つ。病気の事を親に告げなければならないこと。
どのタイミングで話そうか、26日の検査結果を待って話そうかと思っていたが、19日の診察が思いのほか早く終ったので実家に寄る事にした。
いきなり結果を告げるよりも段階を踏んだ方がショックもやわらぐかと思った。
実家へ行くと母だけがいた。取り乱すのではないか、泣かれたらどうしようと心配したが母は冷静だった。きっとものすごくショックだっただろう。でも冷静にこれからのことを一緒に考えてくれた。
私は今まで割と親孝行をしてきたんじゃないかと自負があったけれど、ここに来てこんなに親不孝をしてしまうとは。言わなかったけれど本当はすごくガンが進行していて予後も悪いかもしれない。もしかしたら親より先に逝くかも…。
その日の夕方、父親から電話があった。父も3年前に闘病生活を送ったことがあるせいか、また男だからか落ち着いて頑張ろうと言ってくれた。
そうだ、頑張るんだ。

この検査の日。夜は2月6日の発表会に向けてベリーダンスのレッスンがあった。この段階ではギリギリ発表会に出るつもりだったので、とりあえずレッスンには行くことにした。家にいてもろくな事考えないだろうし。
普段通りにレッスンを受けた。表向きだけでも普段通りにしている自分も割とすごいと思った。
状況は変わってないけれど、毎日毎日絶望しているわけにもいかず。どんな状況でも日常は動いているのだ。

実はこの翌日の夜、東京でメアリーJブライジのライブに行く予定になっていた。去年チケットをゲットして楽しみにしていたイベントだった。夫は遠慮がちに「こんな時になんだけどライブ行ける?」と聞いてきた。私は夫のこんな所が好きなのだ。気遣ってくれながらも一緒に落ち込むのではなく、日常を変わらず過ごす。予定していたイベントも変わらず実行する。もちろん行くよと答えた。今の段階では別にどこか具合悪い訳でもなし、このライブは私もとっても楽しみにしていたから。当日は3時くらいの新幹線で東京へ行き最終で帰ってきた。滞在時間数時間。でもこのライブでものすごくパワーをもらえた気がする。行ってよかった。

24日 MRI検査。
夫は通常、平日は東京で仕事をしていて週末に長野の自宅へ帰って来る。
26日の検査結果を聞きに行く時は夫に一緒にいてほしいと頼んだところ、今週は26日までずっとこちらに居る、ということで検査の日も夫がいてくれた。病院へは一人で行ったけれど、出掛ける時、帰って来た時に夫の顔を見る事ができたので気持ちも明るくなった。
MRI検査では自分の好きなCDを持ってくればかけてくれるというので、夫に景気のいい音楽をチョイスしてもらって持って行った。
病院にて手続きを済ませて検査室へ。しかしなんだってMRIの部屋はこんなに奥なんだ?何だか病院の果ての果てって感じ。この検査を受ける人は少なからず重篤な病気なんだろうからもうちょっと考えればいいのにと思う。
検査自体は痛くも痒くもなくうるさいだけで終る。
若い看護士さんは私のこれからの予定を見てつぶやいた。「明日はCTで水曜日に診察かぁ。過酷だねぇ」と。過酷なんだ…でも一気にやっちゃったほうが私としては楽なんだけどなと思いつつ横を見ると、中学生くらいの女の子が消え入りそうな感じでこれからMRIを受けようとしていた。何の病気だろう。楽しくて健康でないといけない時期なのに。色んな運命を背負った人がいる。

25日 CT検査。
この日も絶食状態で検査へ。時間ギリギリになってしまって慌てて検査室に向かう途中、父親に呼び止められた。父はこの日外来に来ていて、私が来るのを待っていたらしい。ちょっとだけ話をして検査へ。
昨日よりも多く造影剤を入れたのでちょっと気持ち悪かったが、無事終了。
実はこの日はクライアントM社の新年会だったのだが、造影剤のあとの飲食はキツイのでキャンセルした。今まで一度も欠席したことがないこの新年会。私が出ないというだけで皆に驚かれた。でもこの段階では仕事関係の人にはまだ公にできない。26日の結果が出たら解禁にしようと思っていた。ただ、新年会を欠席する本当の理由をこのときM社副社長にだけは打ち明けておいた。

26日結果を聞きに行く。
夫と共に病院へ。3時の予約だったが比較的待たされずに呼ばれる。
病名は「子宮体がん」。最初の診断から頸ガンか、体ガンかと言われていたが結局体ガンだった。体部に出来た腫瘍が頸部にまで来ているらしい。そのため頸部の方に強い反応が出たのだが、実際は体部にできたガンだった。とにかく手術が必要であるということ。子宮、卵巣、リンパの一部を切除するということ。そして手術は2月1日を予定していると言われた。
それはさすがに時間がなさすぎる。自分の中ではその翌週辺りを想定していたので、仕事も何もかも間に合わない。その事を先生に言うと、翌週に手術を予定していた人と調整してくれると言う事だった。もし調整がつかなければそのまた翌週になってしまう。あまり先に延ばすとガンが進行してしまうんじゃないかとちょっと不安になった。
その日は私の他に早急に説明が必要な人がいるとかで、詳しい話は後日となってしまった。28日の夜、改めて夫とともに病院に行くことになった。
先生の話のあとは入院についての説明、術前検査で、血液検査、心電図、肺活量などの検査を受けた。夫はその日の夕方東京へ戻るため先に帰っていった。

その日の夜もベリーダンスのレッスン。発表会に出る事が出来なくなるかもしれないという思いもだんだん濃厚になる。しかし手術が8日に決まればギリギリ出られる。事情を話してそれまでの練習全部パスさせてもらって、本番だけ出ることも考えていた。とりあえずレッスンには出ようとの思いだったのだが、結局これが最後のレッスンとなる。
レッスンのあと、ほんの少し不正出血があった。これで、気持ちの半分は諦めるべき方に傾いていた。でも最後の望みで28日に先生に聞いてみよう。それでダメだって言われたら諦めよう。そして友人関係にはまだ誰にも明かしていなかった。

翌日からは仕事関係の調整が始まった。1ヶ月近く仕事を休まなければならない。フリーランスの立場としてはここで仕事を失ってしまうのは仕方がないと覚悟をしていた。復帰した時にまだ私にできる事があったらよろしくお願いします。と言うつもりだった。
まずは私のメインクライアントであるM社副社長に報告。全てを話したうえで、一ヶ月ならばなんとか繋いでおくから戻ってくるのを待ってくれるという。
入院前に出来るだけの事をするということでこの一週間は非常に忙しくなるが、当然のこと。むしろ有り難く感謝しきれない。
その他も、皆待ってくれると言ってくれたり、復活したら仕事は戻すからと言ってもらえたりで、本当に有り難かった。

29日詳しい話を聞きに夫と病院へ。
夜7時30分。誰もいない待合室で待っていると間もなく呼ばれる。看護師さんもおらず先生だけだった。
結局入院は2月7日。手術8日と決まった。病名は子宮体がん。手術は準広汎性子宮全摘・リンパ節(骨盤内・傍大動脈)・両卵巣摘出というものだった。手術のリスクや後遺症などの説明を受ける。リンパを取るのでみぞおちからヘソの下まで切ることになる。大きな傷跡が残るのだ。
心配されたMRIとCTの結果は転移なしだったのでほっとした。ずっと唇を噛み締めながら聞いていた気がする。全身に力が入っていた。
進行程度は2期に入るか入ってないか辺り。手術は90%大丈夫です。でも追加治療で抗がん剤を投与する可能性も高いと言われた。
この90%大丈夫という言葉が大きな支えになった。大丈夫。夫も安心したみたいだ。
ついでにベリーの事も聞いてみたが、これから手術までの間は出血しないようにできるだけ静かに暮らしなさいと。腰を振るのはねー、やめた方がいいね。と言われてしまった。ここできっぱり諦めた。あとは出来るだけ早くダンス仲間に話さなきゃ。

To be continued…